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『酒井良』のさすらい日記
~明日やろうはバカやろう~
沖野等
夏の終わりを感じる季節になると、毎年思い出す。

選手達の練習が夜間から昼に移行し、本格的にプロ化へ向かっていた頃、

沖野等という強化育成部長がいた。

2009年9月10日、僕と二人でスクール指導中、突然倒れ、意識が戻らないまま翌日息を引き取った。


2011年9月10日のブログより

そっちの世界でも、芋焼酎飲んでますか。

沖野さんが、僕の目の前で倒れて、

そのまま天国にいってしまってから、

2年になります。

ゼルビアも、あれから色々あったりして、

沖野さんだったらどう感じるかな、とか、

たまに思ったりします。

あの頃は、まだみんな会社員で、

僕も、沖野さんとたけさんと、

3人で机を並べて仕事をしていましたね。

“上に登っている時こそ、足元をしっかり見ろ”

上に登りつづけるクラブやチームをみて、

いつもそう言っていましたね。

“ランドセルを玄関に置いて、 

 すぐにサッカーができる環境を作ろうよ”

お金持ちもそうでない子も、いつでも誰でもどこでも、

サッカーができる環境が、本当の普及だ。

『町田ならできると思ったんだよ。』

そう言っていたのが印象に残っています。

そんなクラブができたら、間違いなく、

ゼルビアは強くなる。

2年前も、昨年と同じで、

この時期に、本加盟申請が通りませんでした。

お通夜の席で、息子さんに言われました。

『父は、選手にどう伝えればいいか、本当に悩んでいました。

 頑張っている選手達に、何て言えばいいのか…』

もしかしたら、今の現状を一番喜んでいるのは、

沖野さんかもしれません。

明日から、勝負の3ヶ月が始まります。

すべてが終わった時、

天国の沖野さんと一緒に笑えたら最高です。

明日の試合で、今年も去年と同様に、

選手会で、子どもたちを招待します。

はらっぱ・シート

これからも、ゼルビアは、

子どもたちを大切にします。

だって、次の世代の選手は、

今の子ども達だし、

クラブを支えるのも、サポーターだって、

今の子どもたちなんだから。



早いものであれから9年経ち、クラブの立ち位置も、僕の環境も大きく変わった。

引退後、トップチームや選手育成の道に進むのではなく、

4年間普及活動に全力を注いだのは、35歳まで現役でプレーし、少し勝負事に疲れてしまっていたこともあるけれど、

沖野さんの想いを自分なりの形にすることが、僕の中で一つの決着でもあった。

サッカークラブのアカデミーは、大きく分けると、“育成”と“普及”に分かれる。

普及とは、一人でも多くの子ども達にサッカーを始めるきっかけを与え、サッカーを大好きにしてあげる。

また、子どもからシニア層までサッカーの楽しさを味わえる場を提供することが役割だ。

簡単に言うと、トップチームや育成はブロックを上に積み上げていくの対して、普及は横に広げていく作業だ。

これがまた地味な作業であり、トップや育成とは違い、すぐに結果に結びつくことが少なく、評価も得にくい。

皆の笑顔を肴に夜ビールを飲むことがささやかな喜びだった。

町田という、東京の端っこの、人口が倍くらいの町に囲まれた中でどうやって存続し、存在価値を出していくのか。

その根底を支えるのは、普及だと今でも思っている。

お隣が10人中4人がサッカー少年ならば、10人中8人サッカー少年にしなけば同じ土俵で戦えない。

それはただ子ども達にサッカーを教えるだけでは実現できない。

保育園に園庭がなけばゼルビアのマイクロバスで送迎し、ボールと遊ぶ機会を作り、

大人はもちろんシニア層、女の子のクラスや障がい者にもサッカーを広げた。

そして、僕が普及(ゼルビアではひろめ隊と言う)を離れ、欧州に行っている一年で、もっと発展しブロックを横へ広げている。

ピラミッドの頂点(トップチーム)が更なる高みを目指し突き進んでいる今、裾野の広さがこれからのゼルビアの支えると思っている。

6月に僕が担当するFC町田ゼルビアの14歳を連れて、昨年一年間所属した、セルビアのヴォイヴォディナ・ノヴィサドが主催する国際大会に参加した。

この大会は、“ステファン・ネシツキー記念大会”と呼ばれ、現役中に交通事故で亡くなった名選手の功績を称え名付けられ36年間続いている。

初めて参加するクラブは、大会前に故人の墓を訪れることが習わしとなっている。

そうやってこのクラブは、第二次世界大戦、ユーゴ内戦を乗り越え、国が分裂し社会主義から資本主義に変わっても、104年に渡りクラブの哲学を守り続けている。

FC町田ゼルビアは、他のJクラブと比べると、まだまだ無い物ばかりのクラブだ。

でも、あの頃、沖野さんと描いていた10年後を遥かに超えた現実に中にいることは間違いない。

だから、今僕が描いている10年後を遥かに超えた現実があるのではないかとワクワクしてしまう。

そんな想いを噛みしめて、また明日もグラウンドに立ちたいと思う。

では。
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We'll never stop challenging ourselves.
セルビアでの日常
セルビアでの日常で感じた事を、何となくメモしていた。

何となくメモしていたということは、何となく心に残っていたのであろう。

内戦の影響もあり、経済的に取り残された感があるセルビア。

平均月収4~5万円の国だけど、日本では忘れ去られつつある原風景が、そこにはあった。

せっかくのなので、ちょっと加筆してどうぞ。
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【読書感想文NO62】  オシム 終わりなき闘い  木村元彦
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セルビアにいて感じることがある。

人は生まれる場所を選ぶことができない。
親を選ぶことも、国を選ぶこともできない。

能力があって、努力していても、やりたい仕事に就けない人がいる。
衣食住すら満足に与えられない環境で、学校に行けない子もいる。
サッカーの才能があっても、それを発揮できない境遇の子もいる。

本当に自分は幸せだと感じている。

[【読書感想文NO62】  オシム 終わりなき闘い  木村元彦]の続きを読む
意志あるところに道は開ける
dobahr dahn
(ドーバル ダーン/セルビア語でこんにちは)

明治維新直後、政府の命令により淡路島の稲田藩が、北海道という未開の荒野の開拓に出ました。
『北の零年』という映画にもなったので、知っている人もいるでしょう。
僕のルーツはその開拓団の一人です。今でも親父の実家は北海道の静内にあります。
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