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『酒井良』のさすらい日記
~明日やろうはバカやろう~
売れない一冊の本
昨年一年間滞在した欧州セルビアでの出来事をまとめたら、

売れない一冊の本になるくらい、たくさんの経験をしてきた。

公的な仕事で派遣されていたので、公的文書の提出やプレゼン報告は、

自分なりに日本サッカーの将来を見据えて、賛否両論、批判覚悟で投げかけてきた。

公式報告では必要ないけど、人によっては面白みを感じるかもしれない、

非公式ユーザーのために、記憶が新しいうちに書き残しておこうと思ってはいたが、

目まぐるしく過ぎていく忙しい毎日に筆ではなく、キーボードを叩くことを怠けてきた。

だから、この更新のあとはきっとしばらく先になるであろうことをご了承頂きたい。


僕の考える 「経験」 とは、二種類あって、

日々を繰り返いしながら、ブラッシュアップしていく経験と、

非日常的な特殊な経験がある。


前者は、目標目的を持ちながら、日々を繰り返すことで、

似たような事象を想像できるようになるから、

次に起こるであろう事柄を前もって対処できるし、

より良い解決方法を導き出すことができる。


後者は、非日常の特殊な経験だから、現実社会に持ち帰っても、簡単には馴染まない。

ただ、これがまた時間を掛けて馴染ませると、前者だけでは浮かんでこない解決策や、

新しいアイデアが浮かんでくる。

誰もが無理だろと言うようなことを、本気で出来るんじゃないかと思い始めてしまう、

若干、世の中とは馴染まないアイデアも浮かんでくるが、

これも経験によって、ちょっとワインセラーで眠らせておこうかとか、

考えることができるようになる。(大体忘れてしまうが)


僕は前者も後者もどっちも大事だと思うんだけど、

後者の重要性は、40代に突入して改めて大事だと思う。


20代にフットボールプレーヤーとして、湘南、山形、沖縄、草津、町田、

と転々とした特殊な経験が、30代で馴染んできて、

「町田からJリーグ!」と誰もが鼻で笑った、

世の中には馴染まない職業(最初は職業と言える形態ではなかったが)に10年費やした。

結果、僕が就職試験を受けても、書類で落ちてしまうであろう大企業が、

このクラブに魅力と未来を感じてくれた。


2年前、僕が欧州セルビアへ行こうと思ったのも、

そろそろまた特殊な経験が必要だぞ、

と、淡路島から北海道へ開拓に行った僕のご先祖様が囁いたのかもしれない。

30歳の誕生日は社会科の教員を目指して勉強中で、

40歳の誕生日はセルビアで大家とバーベキューをしていた。


日本に戻ってきて約一年、現実社会と特殊な経験を馴染ませようと努力しているが、

そう簡単には馴染まない。

馴染んだと思い込んでいるのは僕だけで、

馴染みの客が場末のスナックを盛り立ててくれるのはもっと先のことかもしれない。

話が航路から外れてしまいそうなので、

なぜこれを書こうかと思ったことに話を戻して終わりたい。


渡セルビアして半年、欧州がシーズンオフに入る6月末に日本へ一時帰国する予定だった。

丁度そのタイミングで、ポーランドへU21(23歳以下)欧州選手権を観に行こうと思い立った。

日本へ帰る途中にポーランドへ寄って行こう。

まるでサラリーマンが家路に着く前におでん屋で一杯やっていこうか、

というように。


続きはまたいつかどこかで。

IMG_3141.jpg
ポーランドのクラコフという街。


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サッカーは民族や言葉の壁を越える
昨年末に日本に戻り、日本の現実の中で日々格闘している。

丁度去年の今頃、印象深い試合があった。


U-16 セルビア全土リーグリーグ戦の終盤戦、ホームでノヴィパザルと対戦した。

ノヴィパザルからするとアウェー試合で、ヴォイヴォディナとは力の差もあるので、予想通り5バックでがっちりブロックを組んできた。

毎度のことながら、財政的に厳しく、芝生の管理まで行き渡らず、ボコボコのグラウンドでの試合になった。

覚悟はしていたが、ゴールが奪えずもどかしい前半となった。

アシスタントコーチとして監督をサポートする役割の僕は、ハーフタイムはいつも監督と一緒にロッカーに戻る。

ただ今日は、監督の様子や、試合展開からすると、CFを代えそうな雰囲気を感じたので、ピッチに残り控えCFのピプリッツァに付きっ切りでアップをした。

彼が出場すれば、必ずゴールチャンスが来ると確信していた。


ピプリッツァはまったく英語が喋れない。

ありったけのジェスチャーとセルビア語の単語で、

「とにかく時間を掛けないで早く打て。トラップミスしても素早く足を振り抜け。」

と伝え、ハーフタイムの短い時間だったが、間違いなく出てくるであろう、振り向いてシュートを入れたウォーミングアップでイメージを作らせた。

予想通り、監督は後半の頭からメンバーを変えてきた。

ロッカーから戻った監督から、

「ピプリッツァいくぞ、準備はいいか?」

「酒井とアップしたから大丈夫だ!」

と、監督に伝えたピプリッツァと固い握手をして送り出した。

そして彼は見事に5分で結果を出した。

ベンチに駆け寄るピプリッツァに監督は、「俺じゃなくて酒井の所だろ!」と粋な計らいをしてくれた。

サッカーは民族や言葉の壁を越える。
そんな場面をどうぞ。

~45:07辺りから~


その場面からはこちら
https://youtu.be/OYegkS3LePs?t=2723
変化すること、しないこと。
このブログもしれ~とアメブロに変えておいたら、ちょっと面白かなと思いましたがやめておきます(笑)

昨日発表になりましたが、株式会社ゼルビアはサイバーエージェントグループの一員となりました。

FC町田ゼルビアというクラブに所属している人間として、何かを書くということは、多少なりともクラブにも影響を与えることだと思うので、ここ数年込み入った内容に関しては書かないようにしていました。

今回は、このクラブに長く携わってきた人間の責任として、僕の個人的な意見を書かせて頂きたい。

内容に関しては、クラブの許可を得たわけではありませんので、責任はすべて僕が負います。


[変化すること、しないこと。]の続きを読む
沖野等
夏の終わりを感じる季節になると、毎年思い出す。

選手達の練習が夜間から昼に移行し、本格的にプロ化へ向かっていた頃、

沖野等という強化育成部長がいた。

2009年9月10日、僕と二人でスクール指導中、突然倒れ、意識が戻らないまま翌日息を引き取った。


2011年9月10日のブログより

そっちの世界でも、芋焼酎飲んでますか。

沖野さんが、僕の目の前で倒れて、

そのまま天国にいってしまってから、

2年になります。

ゼルビアも、あれから色々あったりして、

沖野さんだったらどう感じるかな、とか、

たまに思ったりします。

あの頃は、まだみんな会社員で、

僕も、沖野さんとたけさんと、

3人で机を並べて仕事をしていましたね。

“上に登っている時こそ、足元をしっかり見ろ”

上に登りつづけるクラブやチームをみて、

いつもそう言っていましたね。

“ランドセルを玄関に置いて、 

 すぐにサッカーができる環境を作ろうよ”

お金持ちもそうでない子も、いつでも誰でもどこでも、

サッカーができる環境が、本当の普及だ。

『町田ならできると思ったんだよ。』

そう言っていたのが印象に残っています。

そんなクラブができたら、間違いなく、

ゼルビアは強くなる。

2年前も、昨年と同じで、

この時期に、本加盟申請が通りませんでした。

お通夜の席で、息子さんに言われました。

『父は、選手にどう伝えればいいか、本当に悩んでいました。

 頑張っている選手達に、何て言えばいいのか…』

もしかしたら、今の現状を一番喜んでいるのは、

沖野さんかもしれません。

明日から、勝負の3ヶ月が始まります。

すべてが終わった時、

天国の沖野さんと一緒に笑えたら最高です。

明日の試合で、今年も去年と同様に、

選手会で、子どもたちを招待します。

はらっぱ・シート

これからも、ゼルビアは、

子どもたちを大切にします。

だって、次の世代の選手は、

今の子ども達だし、

クラブを支えるのも、サポーターだって、

今の子どもたちなんだから。



早いものであれから9年経ち、クラブの立ち位置も、僕の環境も大きく変わった。

引退後、トップチームや選手育成の道に進むのではなく、

4年間普及活動に全力を注いだのは、35歳まで現役でプレーし、少し勝負事に疲れてしまっていたこともあるけれど、

沖野さんの想いを自分なりの形にすることが、僕の中で一つの決着でもあった。

サッカークラブのアカデミーは、大きく分けると、“育成”と“普及”に分かれる。

普及とは、一人でも多くの子ども達にサッカーを始めるきっかけを与え、サッカーを大好きにしてあげる。

また、子どもからシニア層までサッカーの楽しさを味わえる場を提供することが役割だ。

簡単に言うと、トップチームや育成はブロックを上に積み上げていくの対して、普及は横に広げていく作業だ。

これがまた地味な作業であり、トップや育成とは違い、すぐに結果に結びつくことが少なく、評価も得にくい。

皆の笑顔を肴に夜ビールを飲むことがささやかな喜びだった。

町田という、東京の端っこの、人口が倍くらいの町に囲まれた中でどうやって存続し、存在価値を出していくのか。

その根底を支えるのは、普及だと今でも思っている。

お隣が10人中4人がサッカー少年ならば、10人中8人サッカー少年にしなけば同じ土俵で戦えない。

それはただ子ども達にサッカーを教えるだけでは実現できない。

保育園に園庭がなけばゼルビアのマイクロバスで送迎し、ボールと遊ぶ機会を作り、

大人はもちろんシニア層、女の子のクラスや障がい者にもサッカーを広げた。

そして、僕が普及(ゼルビアではひろめ隊と言う)を離れ、欧州に行っている一年で、もっと発展しブロックを横へ広げている。

ピラミッドの頂点(トップチーム)が更なる高みを目指し突き進んでいる今、裾野の広さがこれからのゼルビアの支えると思っている。

6月に僕が担当するFC町田ゼルビアの14歳を連れて、昨年一年間所属した、セルビアのヴォイヴォディナ・ノヴィサドが主催する国際大会に参加した。

この大会は、“ステファン・ネシツキー記念大会”と呼ばれ、現役中に交通事故で亡くなった名選手の功績を称え名付けられ36年間続いている。

初めて参加するクラブは、大会前に故人の墓を訪れることが習わしとなっている。

そうやってこのクラブは、第二次世界大戦、ユーゴ内戦を乗り越え、国が分裂し社会主義から資本主義に変わっても、104年に渡りクラブの哲学を守り続けている。

FC町田ゼルビアは、他のJクラブと比べると、まだまだ無い物ばかりのクラブだ。

でも、あの頃、沖野さんと描いていた10年後を遥かに超えた現実に中にいることは間違いない。

だから、今僕が描いている10年後を遥かに超えた現実があるのではないかとワクワクしてしまう。

そんな想いを噛みしめて、また明日もグラウンドに立ちたいと思う。

では。
We'll never stop challenging ourselves.