FC2ブログ
『酒井良』のさすらい日記
~明日やろうはバカやろう~
リアル道徳
去年だか、一昨年だか、小学校の道徳が教科化された。

個人的に興味があって、勉強会に何度か参加した。

道徳に成績が付けられるなんて、何が基準になるのでしょうか。いまだにわかりません。


先日、僕が監督を務めるU15の練習に行くと、何やら僕のブログの話をしている。

『なに?お前たち俺のブログ読んでるの?』

『読みましたよ!さ・す・ら・い・日記!』

完全にバカにしていますね…。

『ラインで回したから全員読んでると思いますよ!とーさんも、かーさんも読んでましたよ!』

恐るべし新時代…。

と思ったのですが、これはリアル道徳だと思い、練習前のミーティングで聞いてみました。

『俺のブログ読んでどう思った?』

『反対意見が多い中、自分の意見をはっきり書いていてすごい思いました!』

15歳にもなると、総合的に考えてバランスの取れた模範解答。


この学年を担当して一年半。常々言い続けている。

自分の意見を持ち、筋道を立てて論理的に主張しなさい。

そして、必ず相手の主張をを受け入れる空間も持ちなさい。

最初の頃、個人としてもチームとしても、うまくいっていなのに、何も言わない選手が多かった。

僕は物足りなかった。

何よりも大事なサッカーのはずなのに。


あれから一年半、彼らは大きく変わった。

自分なりの言葉で、相手の主張も受け入れながら、自分の主張を胸を張って言えるようになった。

たまに言い合いのケンカになるが、それも良い思い出になる。


ハーフタイムにベンチに戻ると選手達だけのミーティングが終わらない。

僕の作戦ボードも使いながら、主張をぶつけ合っている。

おーい。監督の僕にもしゃべらせてね。と。


自分の意見を主張する勇気を持ちなさい。

だからこそ、少数派の意見が悪者になる世の中であってほしくない。


練習後、選手達が何やらソワソワしている。

台風の影響で急遽試合時間が変更になったから、今から行けばホームゲームに間に合うという。

いつもは自分たちの試合があるため、野津田にはほとんど行けない。

チームのルールでホームゲームに観戦に行く場合は前日までに申請しなければチケットはもらえない。

だから、自分の小遣いで行くという。

ちょっと待ってろ、こんな時に登場するのか監督だろうよ。

クラブ関係者に事情を伝え、快く承諾を得て15人程度のアカデミー選手達が野津田へ向かった。

いつか自分があのピッチで戦うことを夢見て、苦しい戦いを続けるトップチームを応援するために。

試合終盤、今日の観客人数が発表された。

3009人だった。

翌日、彼らに、

『お前たちが行かなかったら3000人いかなかったな。』


返事の代わりに見せた、思春期の笑顔に胸が熱くなった。

スポンサーサイト



追記
続超大型台風が上陸中です。皆さん身の安全を第一に。

さて、チーム名変更のについて書いたブログですが、論争が僕の想いとは違う方向に進んでいるようなので、もう少しだけ追記させてください。

僕にとって『FC町田』を残すことは、このクラブの源流を残すことだ。
FC町田出身だからではない。ここまでクラブを引っ張ってきた竹ちゃんマン、ファッションリーダー柏木、タカサイトウ、栃木の大田くん、職員一年生の土岐田くん、(順不同、他にもたくさんいるけどごめんね)はFC町田出身ではない。そんなことどうでもいいし、考えたこともない。みんな町田だ。

『ゼルビア』をクラブ名から外すという選択は、誰よりも辛いと思っている。
この十数年、一緒に戦ってくれた人達は僕の気持ちを理解してくれると思う。

これから先、このクラブは加速度的に大きくなるであろう。
僕もいつまでこのクラブにいられるか、サッカーの世界だからまったくわからない。

勝てない試合が続いた時に大事になるのは、チームに立ち戻る場所があるかどうか。
クラブが方向性を見失い、揺らいだ時に必要なのは立ち戻る源流があるかどうかだ。

荒野を開拓し、小さな種をまいて、成功と失敗を繰り返しながら花咲いたFC町田のスピリットは、いつの日かゼルビアの立ち戻る場所になる。

そんな想いでおります。
この件に関して、これ以上コメントすることはありません。
台風が去った後、また現場に戻り、思春期真っ盛りのかわいい息子たちと格闘します。


町田
先程、クラブの名称変更(案)が発表された。

このクラブを応援してくれている期間や年代や関わり方によって様々な捉え方があると思うから、賛成、反対によってクラブへの愛情の深さははかれない。

少年時代、町田のサッカーに育てられ、20代はそのサッカーで生計を立てることができ、30代は町田にプロサッカークラブを作り、将来子ども達にプレーしてもらうことを目標に全力を注いだ僕の捉え方を少しばかり書き記しておこう。

自分の生い立ちや町田に対する想いも大きく影響しているから、少々長くなる予感がするがお付き合いください。

僕が生まれ育った隣町は当時、少年野球全盛期だった。一学年4クラスの小学校に3チーム少年野球チームがあるくらいだ。それでも兄の影響で選んだのは野球ではなくサッカーだった。

決して上手ではなかったが、誰よりもサッカーが好きなサッカー少年だった。小学校5年生になると市の選抜チームにも選ばれ、近隣の選抜チームと試合をすることも多くなった。

その時に初めて「FC町田」に出会った。それまで僕の知っていた町田は、母親と買い物に行く大丸くらいだった。
FC町田の子ども達は、強くて速くて、なにより上手かった。そのド中心にいた選手が将来このクラブの社長になるなんてその時はまだ知る由もない。

小学6年の秋、初めて両親に自分の意志をぶつけた。俺は町田に行ってサッカーしたいと。隣町は今でこそJクラブもできて、中学生年代にもたくさんのクラブチームがあるが、当時は部活でサッカーをする選択肢しかなかった。部活に入らず越境してクラブチームに入るなんて両親にはイメージすらできなかったであろう。もちろん両親は大反対。泣きながら自分の想いを伝え何とか許しを得た。これが初めて自分の意志で取った行動だった。その後今日に至るまで、自分の進路や人生を決めていく上で、一度も親に相談をしたことがない。成功も失敗もあったが、事後報告をすべて認めてくれた親には感謝している。

こうして僕はFC町田に出会い、市選抜で出会った戸田和幸氏と共に境川を渡ることになる。その後歩んでいくサッカー人生は長くなるので割愛することにするが、30年後に境川でなく、ドナウ川の畔に住むことになるなんて思いもしなかったし、生ドナウ川を見た第一印象は「でっけえ川だな。境川とは比べ物にならんな。」だったことは、記しておこう。そして、重田、守屋、佐藤先生をはじめとする当時の指導者達に育てられた町田の選手達は、他の地域とは違う、独特の世界観を持って育って行ったと思う。一言で表現すると、それは『多様性の調和』ではないだろうか。

さて、本題に戻ろう。

今回、【FC町田トウキョウ】(案)という名称に変更する説明があった。
冒頭にも書いたが、捉え方は人それぞれなので多様性を調和するならば、賛成、反対でクラブへの愛情をはかるべきではない。

結論から言うと、クラブ名を発展的に変更するならば、この名称に賛成だ。

では、論点を二つに分けて考えよう。

一つ目は、「ゼルビア」を明記しない点について。
1998年4月、「FC町田」から「FC町田ゼルビア」へ変更された。これは、クラブが本気で町田からJリーグ入りを目指す意思表示でもあった。当時、Jクラブは親会社の企業名を外し、地域の名前と愛称を入れることが主流だった。清水エスパルス、鹿島アントラーズ、ガンバ大阪etc…。ゼルビアは創設者の重田先生が、町田市の木、ゼルコバ(けやき)と花、サルビアを合わせて作った造語だ。素敵なネーミングだよね。あれから20年、ゼルビアという愛称で地域に根差したクラブへと成長していった。ただ、いつの頃からか、「町田ゼルビア」と言われることが多くなった。僕は自分の事を紹介する時や、何かにクラブ名を書く時に「町田ゼルビア」と名乗ったことは今まで一度もない。「FC町田ゼルビアの酒井です」や「ゼルビアの酒井です」はあっても、「町田ゼルビアの酒井です。」と名乗ったことは一度もない。比較的クラブ名が長いから、呼称として呼ばれるのであれば、「町田ゼルビア」でまったく問題ない。但し、このクラブの源流は「FC町田」だ。「FC」と「町田」を分離することに大きな抵抗がある。東京というブランドを入れる(これについて論点2で)のであれば、クラブ名が長い短いの問題はあるが、残すのは「FC町田」であるべきだ。これはきっとゼルビアと名付けた重田先生もわかってくれると思う。

二つ目の「トウキョウ」を明記することについて。
このクラブに関わった時から、「町田から世界へ」を合言葉に子ども達の育成に携わってきた。今はジュニアユースの監督として子ども達を指導しているが、サッカーで人を育て、一人でも多くのプロ選手を育成し、世界へ送り出す。だからこそ僕は、境川の次にドナウ川を渡ったのだ。町田というローカルな地域にこだわっていたクラブが東京というブランドを入れると、町田を捨てたのか?と思われるかもしれない。もしそうだったら源流を消すわけがない。これは、重田先生がJリーグに上がるために、「ゼルビア」を付けた事と同じように、世界に打って出るための意思表示なのだ。そして、僕の知っている町田人は、東京でも神奈川でもない町田だぜ!と言いながら、都合の良い時に「東京」を使う図々しさを持ち合わせているんじゃない?(笑)東欧セルビアにいる時も、町田は日本のどこにあるんだ?と良く聞かれたが、そのたびに、エッジオブ東京だ。と答えていた。

これからも、ゼルビアはゼルビアだから、ゼルビアと呼んでもらっても構わない。無理やりエフマチと呼んでくれとも思わない。でも、このクラブは長い歴史を背負って前に進んでいく。現状維持は衰退への第一歩だ。

最後に、昨年サイバーエージェントグループの傘下に入るまで支えてくれた皆さんに心より感謝したい。身銭を切って、社員を説得して、家族も巻き込んで、絞るだけ絞ったタオルからもう一滴も出てこない。そんな状況だったと思う。

このクラブは、いつの日かアジアチャンピオンズリーグを制し、クラブワールドカップを制し、世界の頂点立つ。その時のスタメン8人はアカデミー出身者だ。(残り3人は僕が東欧で携わったセルビア人!)そして11番を背負うのは2列目からいかり肩でゴールに向かって飛び出してくるベテラン選手のはずだ。

そして、その時は満員の野津田で、『We Are ZELVIA!』と掲げてください。



2010/09/10(金) ブログより転送 強化育成部長 沖野等
2010/09/10(金)

早いもので、沖野さんが亡くなって、明日で1年になる。

スクール中、僕の目の前で倒れて、そのまま天国へ行ってしまった。

告別式が終わるまでの数日間は、まるで生きた心地がしなかった。

そのあとも、しばらくの間、昨日まで目の前にいた人が、

今日はもういない現実が、理解できなかった。


沖野さんは、ベルマーレ・アビスパ・フロンターレなどの育成部門で活躍した、

育成・普及のスペシャリストだった。

事務所では、沖野さん、竹中コーチ、僕の3人机を並べて仕事をしていた。

ぶつかることもあったけど、根本的な考え方はまったく同じだった。

そして素晴らしいことを、たくさん教えてもらった。



お金持ちの子も

そうでない子も

同じようにサッカーができる環境を作りたい

いつでも

だれでも

どこでも

サッカーができる環境

ランドセルを玄関に置いて

すぐにサッカーができる環境

町田ならできると思ったんだよ


沖野さんはそう言っていた。

沖野さんは、今のゼルビアをどう見てるかわからないけど。

これからも沖野さんの想いを胸に、普及活動に取り組みたい。

今の普及部のメンバーにも伝わっている。

時間はかかりますが、きっと素晴らしいクラブになりますよ。


それにしても、ゼルビアにはいろんなことが起こる。


でわ。
[2010/09/10(金) ブログより転送 強化育成部長 沖野等]の続きを読む
売れない一冊の本 ~Episode 2~
頭の中でまったく構成されていない、この売れない一冊の本は、どこまでページ数が増えるのか、

はたまた、いつ更新が滞るのかまったくわからない。


さて、前回は、一時帰国前にポーランドに行こうと思い立った所で終わったはずだ。

僕は美味しい物は最後まで取ってタイプで、

小学校の給食で出るスープの中のうずらの卵は掃除の時間まで口の中に入れていて、

校舎の片隅で一人味わうのが好きだった。

だからポーランドの話はもう少し先送りして、僕が約1年間住むこととなる、

セルビアの第二の都市、ノビサドに到着した時に時計の針を戻したいと思う。


この派遣事業は、Jクラブから3名、ベルギー、ドイツ、セルビアの3か国に派遣された。

この3名が1期生となる。

すなわち、前例も、マニュアルもなく、セルビア到着後、一人になった2日目から、

ほぼほぼ出たとこ勝負の毎日だった。

まずは、ショッピングセンターで携帯電話を購入し、滞在するホテルを探すことから始まった。

渡航前の予定では、クラブ会長がホテルを所有しているということで、

そこに宿泊すればいいやと、安易に考えていたが、すでにその会長は他界しており、

違う会長に代っていた。

慌てていくつかホテルを回り、決めたのはトレーニングセンターまで徒歩5分にある、

結婚式場が併設された、郊外の小さいなホテルだった。

朝飯付きで一泊3千円いかない。

そしてここに2ヶ月住むことになる。

週末になると、セルビア式のディスコ化された宴会が朝方まで続いたが、

郷に入っては郷に従えで、そのうち慣れていく自分がいた。

IMG_2489_201812181333340ec.jpg

本当は、街のシンボルの要塞の中にあるおしゃれなホテルに宿泊したかったが、

僕には似合わないし、

車を購入しようか、自転車を購入しようか、街の形状も、土地感もない中で、

何よりトレーニングセンターまで交通手段が見当も付かなかった。

IMG_2678_20181218134947fa8.jpg
要塞(ホテル)から見下ろすペトロヴァラディンの街並みとドナウ川。ここに泊まって欧州のシティーボーイを目指す予定だったが…。


今考えると、僕の判断は間違いではなかった。

サッカーに集中できる環境こそが一番良い環境なのだから。

ホテルに宿泊している2ヶ月間で、街の雰囲気や練習のスケジュールを把握して、

クラブに手伝ってもらいながら、生活しやすい家を探すことになっていた。

そして、ホテルに滞在すること約2週間、この売れない一冊の本の最重要人物と出会う。

ミラン・ベリチコヴィッチ。

IMG_3599.jpg

渡航前に、セルビア大使館関係者、セルビア通ジャーナリスト、

通訳者、セルビア好きな方々にとコンタクトを取りながら、

現地で出会った、この不思議なセルビア人。

翌年、小野路グラウンドはもちろん、日本の僕の家まで遊びに来る仲になるなんて、

この時はまだ知る由もなかった。

これから、海外が挑戦しようとしている君、もしくはそんな子どもを持つお父さんお母さん、

語学の準備はもちろんだが、最も重要なのは異国の生活に自ら飛び込んでいく勇気だ。

ノビサドで合気道の師範を務めるこの男、

子どもの頃にたまたま近所に住んでいた日本人女性が書く 『漢字』に興味を持ち、

独学で日本語をマスターした変人。

通訳を頼んだ時にも、「この人のね、一挙手一投足がね…」と言葉が出てくる。

たまに忘れた漢字を僕が教えてもらうこともあった。

この後、ほぼ毎週末、彼と二人で色々な所に出掛け、

日本とセルビア、文化と民族、そして生きるとはどういうことか、

夜な夜な語り合うことになる。(だいたい、酔っ払いの戯言であるが)


ある時、『酒井さん、七輪で焼肉したくない?』と言われ、

炭焼き大好き人間の僕のハートは一瞬にして燃え上がった。

そもそも、セルビアに七輪はあるのか?

『日本のような七輪はないね。』

さて、どうしよう。

すでに燃え上がっている僕らのハートの火は簡単には消えない。

とにかく、ホームセンターに行こう。

『酒井さん、あったよ~。』

手にしている物は植木鉢。

『ブラボ~ミラン!』ってコラ。

底が抜けている植木鉢なので、底にアルミの受け皿を入れた。

でもこれじゃ、下が焦げるね。

ホームセンターの駐車場のおじさんに落ちている小さな石をもらい、

採石場のおじさんに砂をもらい、肉を購入して家に戻るともう夕方。

そして、セルビア人と日本人INノビサド炭火焼肉大会がひっそりと開催された。

それもミランさんのアパートのベランダで。

日本だったら近所迷惑で警察呼ばれる焼肉大会だが、

『大丈夫だよ、セルビア人は良い匂いだな~くらいにしか思わないよ。』

IMG_3586.jpg
日セル合作の七輪

IMG_3584.jpg
ミランさんの料理の腕前はプロ並み

IMG_3592.jpg
僕は飲み食い専門

今回も、航路が大きくずれてしまった。

ポーランド一人旅までたどり着くのはいつのことやら…。

ではまた。