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『酒井良』のさすらい日記
~明日やろうはバカやろう~
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売れない一冊の本 ~Episode 2~
頭の中でまったく構成されていない、この売れない一冊の本は、どこまでページ数が増えるのか、

はたまた、いつ更新が滞るのかまったくわからない。


さて、前回は、一時帰国前にポーランドに行こうと思い立った所で終わったはずだ。

僕は美味しい物は最後まで取ってタイプで、

小学校の給食で出るスープの中のうずらの卵は掃除の時間まで口の中に入れていて、

校舎の片隅で一人味わうのが好きだった。

だからポーランドの話はもう少し先送りして、僕が約1年間住むこととなる、

セルビアの第二の都市、ノビサドに到着した時に時計の針を戻したいと思う。


この派遣事業は、Jクラブから3名、ベルギー、ドイツ、セルビアの3か国に派遣された。

この3名が1期生となる。

すなわち、前例も、マニュアルもなく、セルビア到着後、一人になった2日目から、

ほぼほぼ出たとこ勝負の毎日だった。

まずは、ショッピングセンターで携帯電話を購入し、滞在するホテルを探すことから始まった。

渡航前の予定では、クラブ会長がホテルを所有しているということで、

そこに宿泊すればいいやと、安易に考えていたが、すでにその会長は他界しており、

違う会長に代っていた。

慌てていくつかホテルを回り、決めたのはトレーニングセンターまで徒歩5分にある、

結婚式場が併設された、郊外の小さいなホテルだった。

朝飯付きで一泊3千円いかない。

そしてここに2ヶ月住むことになる。

週末になると、セルビア式のディスコ化された宴会が朝方まで続いたが、

郷に入っては郷に従えで、そのうち慣れていく自分がいた。

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本当は、街のシンボルの要塞の中にあるおしゃれなホテルに宿泊したかったが、

僕には似合わないし、

車を購入しようか、自転車を購入しようか、街の形状も、土地感もない中で、

何よりトレーニングセンターまで交通手段が見当も付かなかった。

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要塞(ホテル)から見下ろすペトロヴァラディンの街並みとドナウ川。ここに泊まって欧州のシティーボーイを目指す予定だったが…。


今考えると、僕の判断は間違いではなかった。

サッカーに集中できる環境こそが一番良い環境なのだから。

ホテルに宿泊している2ヶ月間で、街の雰囲気や練習のスケジュールを把握して、

クラブに手伝ってもらいながら、生活しやすい家を探すことになっていた。

そして、ホテルに滞在すること約2週間、この売れない一冊の本の最重要人物と出会う。

ミラン・ベリチコヴィッチ。

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渡航前に、セルビア大使館関係者、セルビア通ジャーナリスト、

通訳者、セルビア好きな方々にとコンタクトを取りながら、

現地で出会った、この不思議なセルビア人。

翌年、小野路グラウンドはもちろん、日本の僕の家まで遊びに来る仲になるなんて、

この時はまだ知る由もなかった。

これから、海外が挑戦しようとしている君、もしくはそんな子どもを持つお父さんお母さん、

語学の準備はもちろんだが、最も重要なのは異国の生活に自ら飛び込んでいく勇気だ。

ノビサドで合気道の師範を務めるこの男、

子どもの頃にたまたま近所に住んでいた日本人女性が書く 『漢字』に興味を持ち、

独学で日本語をマスターした変人。

通訳を頼んだ時にも、「この人のね、一挙手一投足がね…」と言葉が出てくる。

たまに忘れた漢字を僕が教えてもらうこともあった。

この後、ほぼ毎週末、彼と二人で色々な所に出掛け、

日本とセルビア、文化と民族、そして生きるとはどういうことか、

夜な夜な語り合うことになる。(だいたい、酔っ払いの戯言であるが)


ある時、『酒井さん、七輪で焼肉したくない?』と言われ、

炭焼き大好き人間の僕のハートは一瞬にして燃え上がった。

そもそも、セルビアに七輪はあるのか?

『日本のような七輪はないね。』

さて、どうしよう。

すでに燃え上がっている僕らのハートの火は簡単には消えない。

とにかく、ホームセンターに行こう。

『酒井さん、あったよ~。』

手にしている物は植木鉢。

『ブラボ~ミラン!』ってコラ。

底が抜けている植木鉢なので、底にアルミの受け皿を入れた。

でもこれじゃ、下が焦げるね。

ホームセンターの駐車場のおじさんに落ちている小さな石をもらい、

採石場のおじさんに砂をもらい、肉を購入して家に戻るともう夕方。

そして、セルビア人と日本人INノビサド炭火焼肉大会がひっそりと開催された。

それもミランさんのアパートのベランダで。

日本だったら近所迷惑で警察呼ばれる焼肉大会だが、

『大丈夫だよ、セルビア人は良い匂いだな~くらいにしか思わないよ。』

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日セル合作の七輪

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ミランさんの料理の腕前はプロ並み

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僕は飲み食い専門

今回も、航路が大きくずれてしまった。

ポーランド一人旅までたどり着くのはいつのことやら…。

ではまた。
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売れない一冊の本
昨年一年間滞在した欧州セルビアでの出来事をまとめたら、

売れない一冊の本になるくらい、たくさんの経験をしてきた。

公的な仕事で派遣されていたので、公的文書の提出やプレゼン報告は、

自分なりに日本サッカーの将来を見据えて、賛否両論、批判覚悟で投げかけてきた。

公式報告では必要ないけど、人によっては面白みを感じるかもしれない、

非公式ユーザーのために、記憶が新しいうちに書き残しておこうと思ってはいたが、

目まぐるしく過ぎていく忙しい毎日に筆ではなく、キーボードを叩くことを怠けてきた。

だから、この更新のあとはきっとしばらく先になるであろうことをご了承頂きたい。


僕の考える 「経験」 とは、二種類あって、

日々を繰り返いしながら、ブラッシュアップしていく経験と、

非日常的な特殊な経験がある。


前者は、目標目的を持ちながら、日々を繰り返すことで、

似たような事象を想像できるようになるから、

次に起こるであろう事柄を前もって対処できるし、

より良い解決方法を導き出すことができる。


後者は、非日常の特殊な経験だから、現実社会に持ち帰っても、簡単には馴染まない。

ただ、これがまた時間を掛けて馴染ませると、前者だけでは浮かんでこない解決策や、

新しいアイデアが浮かんでくる。

誰もが無理だろと言うようなことを、本気で出来るんじゃないかと思い始めてしまう、

若干、世の中とは馴染まないアイデアも浮かんでくるが、

これも経験によって、ちょっとワインセラーで眠らせておこうかとか、

考えることができるようになる。(大体忘れてしまうが)


僕は前者も後者もどっちも大事だと思うんだけど、

後者の重要性は、40代に突入して改めて大事だと思う。


20代にフットボールプレーヤーとして、湘南、山形、沖縄、草津、町田、

と転々とした特殊な経験が、30代で馴染んできて、

「町田からJリーグ!」と誰もが鼻で笑った、

世の中には馴染まない職業(最初は職業と言える形態ではなかったが)に10年費やした。

結果、僕が就職試験を受けても、書類で落ちてしまうであろう大企業が、

このクラブに魅力と未来を感じてくれた。


2年前、僕が欧州セルビアへ行こうと思ったのも、

そろそろまた特殊な経験が必要だぞ、

と、淡路島から北海道へ開拓に行った僕のご先祖様が囁いたのかもしれない。

30歳の誕生日は社会科の教員を目指して勉強中で、

40歳の誕生日はセルビアで大家とバーベキューをしていた。


日本に戻ってきて約一年、現実社会と特殊な経験を馴染ませようと努力しているが、

そう簡単には馴染まない。

馴染んだと思い込んでいるのは僕だけで、

馴染みの客が場末のスナックを盛り立ててくれるのはもっと先のことかもしれない。

話が航路から外れてしまいそうなので、

なぜこれを書こうかと思ったことに話を戻して終わりたい。


渡セルビアして半年、欧州がシーズンオフに入る6月末に日本へ一時帰国する予定だった。

丁度そのタイミングで、ポーランドへU21(23歳以下)欧州選手権を観に行こうと思い立った。

日本へ帰る途中にポーランドへ寄って行こう。

まるでサラリーマンが家路に着く前におでん屋で一杯やっていこうか、

というように。


続きはまたいつかどこかで。

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ポーランドのクラコフという街。


セルビアでの日常
セルビアでの日常で感じた事を、何となくメモしていた。

何となくメモしていたということは、何となく心に残っていたのであろう。

内戦の影響もあり、経済的に取り残された感があるセルビア。

平均月収4~5万円の国だけど、日本では忘れ去られつつある原風景が、そこにはあった。

せっかくのなので、ちょっと加筆してどうぞ。
[セルビアでの日常]の続きを読む
意志あるところに道は開ける
dobahr dahn
(ドーバル ダーン/セルビア語でこんにちは)

明治維新直後、政府の命令により淡路島の稲田藩が、北海道という未開の荒野の開拓に出ました。
『北の零年』という映画にもなったので、知っている人もいるでしょう。
僕のルーツはその開拓団の一人です。今でも親父の実家は北海道の静内にあります。
[意志あるところに道は開ける]の続きを読む
39歳、8月15日に想うこと
夏休み中の酒井です。こんにちは。

久しぶりにクーラーを止めて、窓を開けてみようかな、と思った8月15日の朝です。

東京では珍しい大きな緑地の中にある我が家からは、台風が運ぶ湿気を含んだじっとりとした風と蝉の鳴き声が、落ち着いた大人の夏を感じさせてくれます。

よくよく考えると、お盆と終戦の日が重なっているのは偶然なのですかね。
ご先祖様の霊を迎え入れる日でもあり、戦争で亡くなった方々の魂を慰める日でもあります。

朝から新聞を読んでいて、命について考えております。
先月、相模原市の障がい者施設で凄惨な事件が起こりました。重度の障がい者から狙っていくという、あまりにも卑怯で卑劣な犯行です。
ただ、この事件から世の中の流れのようなものを感じずにはいられません。

ヨーロッパではイギリスがEU離脱を選択し、アメリカではメキシコとの国境に壁を作ると宣言する政治家が大統領候補として国民の支持を受けている。
日本でも改憲派が三分の二を占め、敗戦後の占領政策から生まれた今の日本を変えるべきだという考え方が少しずつ広がってきている。
メディアでは古館さんが番組を降り、教育では道徳に成績が付けられる時代がやってくる。

僕は政治家ではないので、右だの左だの、そんなことはどうでもいい。
若い頃は、右ウイングだったけど、晩年は左サイドハーフだった。(関係ないか)

長崎に原爆が落とされた日に生まれ、満州で終戦を迎えた祖父の話を聞き、沖縄で2年間過ごした僕は、絶対に戦争はしてはいけないということだけは言い続けたい。

第二次世界大戦後、冷戦が終わり各国同士が手を取り合い発展してきた時代が大きな曲がり角に来ているような気がする。
自国の利益を最優先する時代が来ると、自国の利益を最優先する人材が幅を利かせる。すると必要なものと必要でないものを明確にし始める。
排他的なのか、入った敵なのか、文字遊びをしてしている場合ではないが、いわゆる、マイノリティー言われる人達が生きづらい世の中になる。
肌の色だとか、出自だとか、国籍だとか、障がい者だとか、人と違うことが『いけないこと』になってしまう。
横浜町田インターから東名高速に乗るには、国道16号線だけではない。違ったルートを通って何が悪い。

先月の障がい者施設の事件では、若者一人の思想だけではなく、世の中の流れのようなものを感じてしまう。

僕は、命に優劣をつけるのは、極端に嫌いだ。
だからってベジタリアンではないし、できることとできないことはある。
でも、自分のできることを探して毎日を過ごしているつもりだ。

命にセールを付けて売るペットショップは大嫌いだし、流行りの犬をたくさん産ませて繁殖能力が落ちると捨ててしまう悪徳ブリーダーも許せない。
30万円で買われた犬が、こんなに吠えるとは思わなかったと簡単に捨てられ、殺処分される。
今横で寝ているうちのラブラドールは山中に捨てられていた暗い過去を持つ元保護犬だけど、今は僕の相棒として毎日楽しく生活している。
命に30万円付ける価値も理解できないし、どんな理由があろうとも殺処分する意味もわからない。

今、仕事として今取り組んでいる、障がい者のサッカー教室も根底には僕の考え方がある。
障がい者だって健常者と同じようにサッカーを楽しみたいと思っている人もいるし、そこで生まれコミュニティーが支えになる日が来るかもしれない。
それを善しとして事業化させてくれているクラブには感謝しているし、もっと大きな流れにしていろんな人を巻き込んでいきたい。
生まれる環境が少し違えば僕だって障がいを持って生まれたかもしれないし、今後いつ不自由な生活になるかわからない。
そんな支え合いの気持ちの端っこが戦争はしない気持ちの土台になるんじゃないかな。

つらつらと思ったことを書いてみました。
次のブログ更新はいつになるかわかりませんが、また会う日まで。

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