FC町田ゼルビア 3−1 古河電工千葉
勝てば1部昇格へリーチ、負ければが絶望的となる大事な試合。
気持ちの入った良い試合でした。
ゼルビアの選手達の技術は間違いなくリーグ1です。
しかし、試合では技術を見せようとすると結果は出ません。
気持ちの強さ、集中力、球際の強さを見せれば、『技術の差』以上に『技術の差』が出ます。
今日はそんな試合でした。
次節勝てば1部昇格決定、最終節勝てば優勝決定。
最高のシナリオが用意されました。
しかし、いつも通りの開始早々の失点どうにかなりませんか?
解決策募集中です。
最近、説教じみた内容ばかりなので、楽しいネタ探しときます。
では、勝利の後のくつろぐ姿でお別れです。

写真提供:nobuさん
要チェックです。
http://yoda-3.jugem.jp/
依田とは2002年に山形で一緒にプレーして以来、同級生というのもあって、公私共に仲良くさせてもらってます。
帝京高〜帝京大出身なのでゼルビアの竹中、丸山、木町とも一緒にプレーしています。
草津では毎日一緒にいたな。裏の隠れ家、また行きたいね!!
1−1のPK負けです。
後半15分先制しましたが、ロスタイムに追いつかれました。
決して良い内容ではなかったけど、体を張った素晴らし試合でした。
明日はテストが3教科…。もうすぐ24:00。
しかも哲学。ソクラテス…プラトン…。暗記物ですが、疲れて頭に入りません。
どうすればいいんででしょうか…。
プレースタイル同様、最後まであきらめませんが…。
大事な大事な一戦でした。
一部昇格の為のポイントとなる試合だと感じていました。
水曜日にはJFLとの天皇杯、次の日曜日は古電千葉との直接対決を控えて、モチベーション的にも難し試合になると考えていました。
俺はこの試合に危機感を感じ、珍しく緊張もしていました。
誰も手抜いている人はいません。みんな一生懸命やっています。
でもこの『危機感』をみんなに伝えきれなかった事を反省しています。
沖縄かりゆしFCではJFL昇格を逃し、チーム解散に追い込まれた経験をしています。その同じ大会でザスパ草津はJFLに昇格し、翌年Jリーグに昇格しました。
これが現実なんです。
ザスパはサクセスストーリーとして語り継がれる一方、かりゆしの選手達の大半は翌年ユニホーム脱いでいます。
ゼルビアの選手達はプロではありません。仕事をもっているか、学生です。
サッカー以外に責任があります。
そこがプロとの違いです。言い方は悪いですが、ある意味、負けても生活は保障されています。
でも、勝負事は、負けたら何も残らないんです。
この経験をみんなに伝えなくてはいけないと感じています。
俺はいつでもユニホームを脱ぐ覚悟ができています。
その覚悟をしたのは、志し半ばでユニホームを脱いでいった仲間達をみた時です。
勝たなければならないんです。
「お前達(桐光からJリーガーになった人達)はなんだかんだ言っても自分の力で道を切り開いていくよな。」
俺の事は置いといて、諸先輩方、後輩達をみてもそう感じる。
サッカー選手は勉強もせず、世間知らずの人間が多いのも確かである。
しかし、これだけは身をもって感じる事ができる。
それは「実力次第でどこまでも上に行けること、実力がなければこの世界では生きていけないこと、誰も助けてくれないこと。」
元々、俺は高卒でのJリーグ入りは慎重に考えるべきだと思っている。(人として自立しているか、していないかという点で)
しかし、ニートやフリーターが社会問題になっている今、この事を知っているだけで、Jリーガーになる価値があるのかもしれない。
「Jリーグ」ってやっぱり素晴らしいですね。
結局は『町田にJリーグチームを作ろう』ってことが言いたいんです!!
6年のブランクはキツイ。
あっ、大学生の頃も勉強してなかったので10年のブランク。
どうやって卒業したかは、テクニックです。
某教科のテストの時間、高校の教科書なら持ち込み可だって。
あるわけないじゃん、10年以上前の教科書。
23日から30日までに3試合。その間はテスト期間。
果たして乗り切ることができるのでしょうか。
結果は…。
お疲れ様でした。
中田選手との想い出が1つだけあります。
1999年9月、大学4年生だった私は、湘南ベルマーレに3日間の入団テスト行きました。
1日目が終わる頃、何だか選手達がザワザワしはじめました。
『明日ヒデが来るらしいよ』
『日韓戦の前にベルマーレで練習するんだって』
そんな会話でした。
次の日練習場に行くと、やっぱりザワザワ…。
『来たぞ!!』
黒塗りの車からヒデが降りてきました。
ホントだ…。
ベルマーレでの練習を発表してしまうと、マスコミが集まって迷惑をかけてしまうとのことでで、極秘での参加となったそうです。
ポジション別の練習だったので、ヒデとは一緒にプレーする事はありませんでした。
と思ったら、
当時の古前田監督が
『酒井、シュート練習するぞ』
『あっハイ!』
すると古前田監督が
『ヒデ、お前もやるか?』
『やります!』
ウソ…
ということで、古前田監督、私、中田英寿選手の何とも奇妙な関係の3人によるシュート練習が始まりました。
ま〜緊張のあまり、シュートはことごとく枠の外だったのは言うまでもありません。
セカンドキャリアの活躍、お祈りしています。
人生これからですよね!(自分に言い聞かせながら)




