今年は色々なことに挑戦した1年でした。
大学で勉強したり、30歳で教育実習に行ったり、本格的に子ども達の指導を始めたり、JFLに挑戦したり。
来年の目標は
“挑戦”
です。
ずっと挑戦していきます。
たぶん60歳になっても何かに挑戦していると思います。
それでは良いお年を!!!
でも、ウーロン杯は大好きです。
焼酎で苦さが消えまろやかになります。
何度も言いますが、右サイドの1対1と忘年会で力を発揮する酒井です。
最近、芸能人みたいな活動をよくします。
FMさがみさんでおしゃべりしたり。
新聞や雑誌に取り上げてもらったり…。
昨日はJ:COMの収録に行ってきました。



キャスターの座間さんにブログ対決を申し込んできました。
真のブロガーは俺です。
“六本木”に参上です。

ゼルビアを応援してくれている出版社の方にご招待を受け、六本木の焼肉屋に行っていきました。
では、楽しんでください。
まずはタンとハラミです。

これ、絶品!!カルビとロースの間?らしい。
口に入れた瞬間…思い出しか残りません。

まだまだ止まりません。
これ豚のお尻です。
口の中に残るうま味で3日はおかずいりません。

そして大好きなホルモンちゃんとミノちゃんです。
焼き方にもテクニックが必要です。

最後は…
チャンジャ茶漬け!!
これまた絶品!!!!


うちの石堂ちゃん。六本木でも悪い顔してます。
さぁ、今日はゼルビア選手会主催の納会です。
行ってきます。
巨額の放映権料をトップチームの強化費に使うのではなく、下部組織につぎ込んだというはなしです。
みなさんもご存知かと思いますが、町田という土地は都心のベットタウンとして発展してきました。
そのため、大企業の支店が多く、町田を“本拠地”としている大企業はあまりないのが現状です。
レッズの三菱、横浜FMの日産、名古屋のトヨタなどなど…。J1クラスのスポンサーがゼルビアにつくことはそう簡単なことではないのです。
スポンサー収入というのはチームを運営するうえで大事な収入源です。
1000万円のスポンサー料を出してくれる企業がなくても10万円出してくれる企業が100社
あれば1000万円になるのです。
町田にはこのやり方しかないのかもしれません。
では自分たちでお金を生み出すことはできないのか。
できます。
“移籍金”
です。
サッカーの世界では選手が移籍する時(戦力外での移籍以外)に移籍金が発生します。
移籍先のクラブか移籍元のクラブへ移籍金を支払います。
その金額はリーグのカテゴリー、年齢、年俸によって算出されます。
ちょっと町田出身の選手を調べてみました。
Wikipediaで検索すると
北澤豪:元東京ヴェルディ1969、現在は解説者
山口貴之:サガン鳥栖
山田卓也:
林健太郎:ヴァンフォーレ甲府
鈴木健仁:元ベガルタ仙台
熱田眞:元京都パープルサンガ
丸山良明:ベガルタ仙台
星大輔:京都パープルサンガ
福永泰:元ベガルタ仙台
飯島寿久:元アビスパ福岡
水谷雄一:柏レイソル
酒井良:FC町田ゼルビア
津田和樹:FC町田ゼルビア
阿部祐大朗:徳島ヴォルティス
秋元陽太:横浜F・マリノス
もっといるような気がするけど…
戸田もいないけど…。
竹さんがいないのがうける…。
これだけの選手が町田から育ってJリーガーさらに日本代表へと登りつめた。
町田にJリーグクラブが存在し、この選手達が下部組織から育っていったと考えると、間違いなく20代前半、全盛期をむかえる前にビッククラブへ引き抜かれていくでしょう。(酒井を除く)
地元出身の選手が他のクラブへ移籍するというとあまり印象がよくないかもしれないけど、選手はビッククラブへ移籍でき、キャリアアップへとつながる。クラブは高額な移籍金を手することができる。
いいことづくしなのです。
今のJリーガーはJ2の選手でも代理人を付けていることが多い。
その昔、私がJリーガーだったときは代理人を付けていなかった。(雇うお金がなかったというのが正解である)
だからいつも一人でクラブと交渉し、一人で移籍先を探した。
クラブは少しでも安く雇いたい。選手は少しでも良い条件でプレーしたい。
そう思うのは当然である。
自分の身は自分で守るためにいろいろな人へ相談し、Jリーグ規約・規定集を読み、勉強した。
話を元へ戻します。
例えばJFL、J2所属の選手で年齢が20歳とします。
年俸が300万円です。
その選手がJ1へ移籍すると、単純計算(もう少し細かい算出方法があります)で上限3000万円の移籍金が発生します。
毎年この位のレベルの選手を育成し、移籍させれば毎年3000万円の収入があるのです。
毎年3000万円のスポンサードをお願いするのは大変なことです。
だから自分たちで生み出すのです。
町田ならできます。
現に育っているんだから。
まずはJFLに上がり、下部組織を整備する。
そして、育ってきた選手をビッククラブへ移籍させる。
大事なのはここから。
アスレチック・ビルバオ方式。
獲得した移籍金はチーム強化費に使うのではなく、下部組織に投入する。
選手の寮を作り、天然芝、人工芝のグラウンドを作る。サッカーだけなく教育面でもサポートする。(学校を作るなど)
20年かかるかもしれません。
でもこれができればクラブは100年維持できるでしょう。
これが『Jリーグ百年構想』なのではないでしょうか。
こんな途方もない夢を本気で考えています。
町田なら出来ること、町田にしか出来ないこと。
明日も早起きして、チビ達の試合を見に行ってきます。
この子達がゼルビアのトップチームで活躍することを夢見て…。
浦和レッズでプレーすることを夢見て…。
そしてACミランでプレーすることを夢見て…。
おやすみなさい。
カカーってあんなに速いんだ…
坪井が簡単に振り切られてるんだから。
車の中でも、トイレでも、お風呂の中でも…
どうすれば町田にプロサッカークラブができ、地域のみんなに、子ども達に愛されるチームができるのか。
おそらくこのチームで一番私がたくさんのクラブを『生』でみてきているでしょう。
湘南ベルマーレは名門フジタ工業が撤退し、運営費の大幅縮小により地域に密着した総合型スポーツクラブへとへ変わっていった。ゼルビアの理想型でもある。
モンテディオ山形は地方の環境にも恵まれない土地で資金的にも潤沢ではない。しかし、少しずつファンを増やし、環境を整備し、J1を狙える位置まで辿り着いた。
沖縄かりゆしFCは古き日本の『企業スポーツ』から脱却できず、まったく沖縄に根付かなかった。失敗例の典型である。
その逆にザスパ草津は『リストラされた選手達が温泉街で働きながら再びJリーグを目指す』という涙が出るようなコンセプトの元、見事Jリーグまで辿り着いた。
町田には町田のやり方があるはずである。
町田は静岡市清水区(旧清水市)に次ぐ数のJリーガーを輩出している。
今Jリーグを目指しているクラブのほとんどが、トップチームができてから下部組織を整備してる。
しかし、FC町田ゼルビアは違う。
日本サッカー界の歴史にその名をを刻む、名門、『FC町田』があり、その上に『FC町田ゼルビア』ができた。
この自慢の下部組織を生かさない手はない。
私には1つ理想のクラブがる。
スペインのアスレチック・ビルバオである。
アスレティック・ビルバオは、バスク地方のクラブである。
バスク地方とは、スペイン北東部からフランスにまたがる地域を指し、そこに居住するバスク人は、独自の言語と文化を持つ誇り高き民族である。
様々な弾圧に耐えた歴史的経緯から、現在も両国からの分離独立運動が盛んである。
このアスレチック・ビルバオ外国人はもちろん、スペイン人であっても祖父母の代からバスク地方に居住している者以外の入団を認めないという。
リーガエスパニョーラの人気でテレビ放映権料の高騰した時期があった。多額の予算を手にすることができたクラブはこぞって選手の買い集めに走りました。バルサやレアルなんかがそうです。そんな流れの中 アスレチック・ビルバオは手にした巨額のテレビ放映権料を下部組織の選手育成に迷うことなくつぎ込んだのです。
答えはここにあります。
続きはまた今度…。
※このリアルさかつくは酒井の頭の中にあるだけで、クラブの方針と一致するとは限りません。
ショックはショックでも今日は『Gショック』のお話。
2001年ベルマーレ在籍時、初めて大きな怪我をしました。
仙骨(お尻の骨)を骨折しました。
その時リハビリの為にGショックを購入しました。
落ち込んでいる自分をちょっとでも励まそうと。
7年間使い込み、ついに電池が切れました。
最初は新しいGショックを購入しようかと思いましたが、どうしても新しい物を買う気になれませんでした。
苦しい時期を一緒に乗り越えてきた時計です。
古い物、愛着のある物を簡単に捨てられない性格なんです。
確か1万円ぐらいのGショックでしたが、電池交換で送料込みで4000円もかかってしまいました。
でもいいんです。
大切に使います。

勇気をもらった。
京都サンガがJ1に復帰した。
監督は加藤久氏。
私がプロ入りした2000年、湘南ベルマーレの監督に加藤久氏が就任しました。
加藤久氏といえば、現役時代アジアの壁と言われ日本代表のキャプテンも努めました。
引退後、若くして日本サッカー協会強化委員長就任しました。
現在の育成年代のシステムを作り上げたの久さんです。
将来の日本代表監督候補、日本サッカー界を背負って立つそんな人材だといわれていました。
しかし、その歯車が狂ったのは“監督”いうポストに立ってから。
ヴェルディ、ベルマーレと結果が出せず、監督として戦うチャンスすらなくなっていました。
2003年、沖縄かりゆしFCの監督に加藤久氏が就任しました。
かりゆしは、現在のゼルビアと同じカテゴリー、『地域リーグ』です。
『もう一回サッカーを楽しもう。』
25歳で2度の戦力外を受け、完全に自信を失っていた私はこの言葉にグッときてしまいました。
どん底の監督とどん底の選手。迷わず沖縄行きを決めました。
監督としての指導力、手腕に関して一選手がコメントすることはできません。
自分を信じる事と、絶え間ない努力。
そして、曲げることのない信念。
監督という非情な仕事にこだわり続け、どん底から這い上がり、J1昇格を決めた。
その男の生き様に感銘を受けた。
何度で失敗しても這い上がってやろうという気持になる。
ヘッドホンをして、携帯メールを打ちながら自転車をこいでいる高校生を。
言い換えれば、耳栓をして、目隠しをして自転車をこいでいるようなもんです。
轢かれても文句言えないですよね。
先日、所用で日本サッカー界の中枢、御茶ノ水にあるJFAハウスへ行ってきました。
ものすごい大きなオフィスでびっくりしました。
きれいな受付嬢さんに警備員付きです。
帰りの小田急線で教育実習時の担任クラスの生徒に会いました。
昼に電車に乗っていたのでどうしたのかと思ったら…
中間試験ということです。
しかも、今日は『地理』のテストだったとか。
ちょうど私が担当した授業の範囲だったので問題と答え聞いてみると…。
全然出来てないじゃん!!
改めて教える事の難しさを実感しました。
全6試合でPK戦3試合、1−0が2試合、2−0が1試合と4チームの力の差はほとんどありませんでした。
結果、ファジアーノ岡山とニューウェーブ北九州がJFLに昇格しました。
手塚監督、藤吉君、おめでとうございます!!
最終戦、同じCブロックから勝ち上がったバンディオンセ神戸がニューウェーブ北九州に0−2で敗れました。
バンディオンセは勝てばJFL昇格、負ければ4位で敗退となる戦い。
試合終了のホイッスルが鳴った瞬間のバンディオンセの選手達の姿が目に焼き付いて離れません。
立ち上がれないというのはこの事を言うのでしょう。
日本一過酷な戦いが幕を閉じました。
来年こそJFLへ。





















