スクール中、僕の目の前で倒れて、そのまま天国へ行ってしまった。
3年という月日が長いのか短いのかは人それぞれだけど、
当時JFL1年目だったゼルビアと、
Jリーグに昇格した今のゼルビアを比べると、
だいぶ昔のように思えてくる。
たしか2008年の地域決勝の少し前にゼルビアに来たと思う。
当時僕は、他の選手が会社で働きながらサッカーをするのと同様に、
半分スクール、半分選手という形でサッカーをしていた。
名刺には、『スクール事業部課長』という肩書きがあった(笑)
毎週水曜日の午後は、事務所で事務作業をしていて、
沖野さんと二人きりになることが多かった。
その時、サッカーについて、特に子どもたちや普及活動について、
たくさんのことを教えてもらった。
いつか、スクールを無料にしたい。
玄関にランドセルを置いて、
グラウンドに行けばすぐにサッカーができる。
裕福な家も、そうでない家も、同じようにみんなサッカーができる。
そういう環境ができれば、絶対にトップチームは強くなるし、
地域に愛されるクラブになる。
町田ならそれができると思ったんだよ。
そう言っていた。
どこのクラブでも、
スクールがクラブを支える大事な事業になっているから、
無料にするというのは極論になってしまうかもしれないけど、
そういう理念を持ち続けることが大切だと、僕は受け取った。
地域決勝に勝って、JFL昇格を決めたあと、
翌年のチームのセレクションがあった。
そこに、そのあと3年間プレーすることになる、大前くんが来た。
地域決勝第一ラウンドでゼルビアと対戦し敗れた悔しさから、
勤務していた教員を退職する覚悟で、ゼルビアのセレクションに来た。
セレクションには、もちろん沖野さんもいる。
来季の陣容を決めるのは強化部長の大切な仕事だ。
そこで、沖野さんと大前くんは会った。
でも、初対面ではなかった。
大前くんが育った広島の西の方の、有名な鳥居が見える街で、
二人は出会っていた。
子供の頃、沖野さんが大前くんにサッカーを教えていた。
そのセレクション会場で、沖野さんはこう言ったという。
俺はお前のことを知らないことにする。
こっちから推薦することもしない。
自分の力で勝ち取れ。
そして、大前くんは100人以上の参加者の狭き門をくぐり抜け、
見事合格する。
もちろん、みんなが沖野さんと大前くんの関係を知ったのは、
だいぶあとのこと。
沖野さんはその後、一年も経たないうちに亡くなってしまった。
大前くんは、ゼルビアをJリーグに昇格させて、ユニホームを脱いだ。
そして、引退した大前くんは今、
ゼルビアのスクールや普及の最前線で戦っている。
創始者の重田先生が昔からずっと言っていた、
サッカーは文化だ。
という言葉を再確認させてもらった。
だから、町田はこれからもっと強くならなければいけない。
苦笑いかもしれないけど、
今年も、
最後に笑うのは俺たちだ。
でわ。