『酒井良』のさすらい日記
~明日やろうはバカやろう~
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サッカーばかりで勉強しないという我が子を持つ親に朗報
徳川幕府第15代将軍・徳川慶喜

慶喜は、子どもの頃から、

他人から教授されるこをが苦手で、

学ぶことにあまり興味を持たなかった。

しかし、自得する才能には長けていて、

自分が興味を持ったもの、

例えば、鷹狩りや投網などには抜群の才能を発揮した。

そして、勉学に興味を持ったは、二十歳すぎてからであったという。

ちなみに僕は29歳で、初めて重い腰を上げました。

こちら


うちの息子も何とかなるかもしれないと思ったパパさんママさん、

続きをどうぞ。






この慶喜は、水戸藩主の息子で、

本来なら将軍の地位に就く身分ではなかった。

しかし、幼少の頃からの能力を、藩のお偉いさんが、

高く評価し、その道筋を作った。

ちなみに慶喜は、けた外れの好色で、

ビックダディも腰を抜かすくらいの子孫を残している。



そして、この慶喜が、政権を朝廷に返上する、いわゆる、

大政奉還

をやってのける。

300年続いた徳川政権を、自分自身でピリオドを打つ、

という勇気ある決断をした。

坂本龍馬が立案し、徳川慶喜が決断した。

しかし、この時点では、龍馬は慶喜の顔さえ見たことがなかった。

そして、慶喜は、龍馬の存在さえ知らなかった。

まさに奇跡。

この大事が成功したのは、

会ったこともない、龍馬と慶喜の

時勢を読む能力、先見の明、自己犠牲の精神

によるものだったと、酒井は思ったのです。

その後、龍馬は暗殺され、慶喜は表舞台から姿を消す。

大政奉還後、慶喜は一貫して薩長との不戦を貫き、

幕臣からは腰ぬけ扱いをされる。

戦って、日本が衰退した隙を狙って欧州諸国に食われるより、

新しい国として出発する方が、この国のためだと思ったのだろう。

明治以降も、慶喜は、多くを語らず、表舞台にでることもなかった。


なんという歴史の奇跡。


でわ。






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コメント
この記事へのコメント
酒井先生に教われば苦手な社会も好きになれそうな気がしますね
でもまだまだピッチを熱く走る酒井選手が見ていたいです

2010/10/14(木) 14:30:32 | URL | #-[ 編集]
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